こんにちは。スタッフの宮里です。第7回瞑想会の活動報告と感想をまとめます。
今回の活動報告
今回は全体で30名での会となり、内容は『呼吸瞑想』を45分ほど行いました。ご参加いただいた皆様、お疲れ様でした。
始めてご参加いただいた方や、常連さんの方もいらっしゃったことで、瞑想経験の共有の時間には様々な視点の経験が語られ、とても興味深かったです。
自分には無かった経験や、自分も何となく経験していたけれども忘れていたことを記してくださったご感想もあり、そういえばそういうことあった!と改めて気づきを得ることもありました。
こうした気づきを得られることは、集まって瞑想を行うことの特長のひとつかと思います。改めまして参加者の皆様、瞑想の時間を共有させていただき、ありがとうございました。
感想
今回の瞑想の中では、自身の成長の喜びと批判の思考が、呼吸から逸れた先によく出てきたように思います。
具体的には、「痛み・しびれへのとらわれからついに抜け出せた!」と思うことがありました。今回は、柔らかい床に正座のような形で瞑想を始めたのですが、瞑想中、下敷きにしている足全体に痛みやしびれが生まれていました。
伊藤先生の「痛みに注意を向けてみましょう」の教示を聞きながら、痛みやしびれに注意を向けていると、はじめは痛みやしびれの感覚、直後に「痛い!足を解いてしまいたい」「このまま瞑想終了までは耐えられないのでは?」という思考、また痛みやしびれの感覚...グルグル回って苦痛が増幅していくサイクルが一瞬で生まれました。しかし注意を向け続けるうちに、痛み・しびれの感覚とそれに対する評価・解釈の思考が別々にあるように感じられ、さらに痛み・しびれの感覚に注意を向けてもあまり苦痛に感じない、という時間がありました。
瞑想中そうした体験に気づき、「以前は痛みに気づいた後は『何とか耐えよう』『やっぱ耐えられない』と痛みにとらわれた思考のループにはまっていたな...」「今回のこれが、苦痛と自分との間にスペースをつくる、ということか!」と自身が成長した心持ちがして、嬉しくなっていました。
しかし瞑想後に体験を振り返ってみると、「今まで学んできた瞑想の知識が先入観になって、自分の『理想の瞑想』の体験を意識的に探していたのでは?」と思えてきました。というのも、上記の「成長した自分を感じる体験」に気づく前に、「最近マインドフルネスの講習を受けたのだから、勉強する前の自分から成長していなければならない。何か成長に『気づける』ところはないか?」という思考があったことを思い出したためです。瞑想中は、そのことをあえて忘れようとしていた気さえします。
振り返りをまとめている今では、自分の信念のひとつ、「自分はこうで無ければいけないんだ」が、自分の瞑想経験や経験を報告する際に常に影響しているなあ、と感じています。
今回この振り返りを書きながら、自分の深い部分にある認知に改めて気づくことのできたかなと思います。今後も実践を重ね、「理想の自分でありたい」と思う自分にも気づけていけると良いなと思います。
写真:先日学会のあった宮崎で見た、フェニックスの群生地(宮崎はご飯が最高でした!)
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